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2012/06/07『めだかボックス』レビュー(3) 第10話・とんでもないバトルマンガw

めだかボックス 第2巻 [Blu-ray]
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原作つきのアニメの場合(あるいは逆の場合でも)、多くの人は原作を読んでいるからアニメを観る、というパターンと、原作は読んでないけどアニメを観る、というパターンに分かれるだろう。 『めだかボックス』については、僕は後者のパターンだ。

アニメを見始めた頃はたんなる学園物くらいにしか思っていなかったのだが、いつの間にかスーパーサイヤ人もびっくりのバトルものになっていて噴いたw
 
雲仙冥利は爆発物取締罰則、器物損壊、傷害、殺人未遂と、テロリスト並みの犯罪者だ。 西尾維新お得意の「性善説」「性悪説」を敵役に語らせるという手法。一つのテーマなのだろう。『偽物語』でも影縫余弦が語っていた。
 
人間の根源が善と悪、どちらにあるのかという中国古来の二律背反を、基本的に主人公を善とするマンガ・アニメのサブカルチャーに対して、省察を促す語りとなっている。 基本的に性悪説や性善説の二元論で人間を語ることは不可能だろう。
 
人間は自己の生存のために周りを利用する存在であると同時に、たとえば川で溺れている人がいれば何とか助けようと動く存在でもある。つまり状況に応じて人は善にも悪にも動くし、また見方を変えれば善は悪となり、悪は善となる。
 
たとえば蜘蛛の巣に引っかかった蝶を助ければ、美しい蝶を助けた立場から見れば善だが、蜘蛛の立場ではせっかくの食事を取られたということで悪となる。電車の中で、怖いお兄さんが恫喝して席を立たない若者に注意を促し、老人に席を譲ったとなれば、恫喝は悪だが、弱い者を助けたという意味では善となる。
 
このように、善悪は人間の主観や価値観でころころとその色を変える、簡単には判断しがたい要素を初めから含む。めだかは歩く性善説のような人間であるが、同時に、人間的な弱さを持つ女子として描かれている。
 
少年ジャンプ的マンガの鉄則として雲仙冥利はそのうち改心することになるのだろうが、そのプロセスのなかでどのような説得性をもって論破するのか、そこに作者の思想みたいなものを垣間見ることが出来る。
 
西尾維新はややペダンティック(知識をひけらかすこと)なきらいはあるが、ソクラテスの対話にも似た語りの中で、人を感心させるものがある。会話劇をやらせたら、いまのところ、ラノベやマンガではなかなかいない存在である。(ちなみにこれを病的にすると押井守になるw)