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2012/05/30エヴァを超えるにはヱヴァしかない。実存的不安の物語を求めて。

先日、『新世紀エヴァンゲリオン』の監督である庵野さんが「ヱヴァ早く作らんかい」とジャーナリストに突っ込まれて不機嫌になる、という事件(?)が起きました。

ネットでの反応は「確かにエヴァ以外に何も作ってねーだろ」という声が圧倒的でした。残念ながら、それは本当ですw みんなヱヴァの公開を待っているし、それ以外に実は興味ない、というのが本当のところでしょう。

10年以上前、師匠の宮崎駿との対談で「エヴァしかないとかイヤだろう」と言われて「ええ」とか返していた庵野さんですが、実際エヴァしかないw もちろん、それは馬鹿にしているわけではなく、いかにエヴァがすごい物であったか、またあり続けているのか、ということの証左なのです。
 
いまの10代の皆さん、主に中学生や高校生たちが、ガンダムは観てもエヴァは観ていない、という人が多いのは、多分エヴァが時代の申し子だったから、というのは多くの評論家の意見と一致する物でしょう。
 
僕はいまでもエヴァを観ると不安になります。薄気味悪さを感じます。不気味さもあります。それはグロテスクな人造人間エヴァンゲリオンの内蔵や四肢、目玉や血、肉、そういう具体的なものもあります。
 
しかしシュルレアリストのデ・キリコのような影の使い方や、工事現場やセミの騒音といったエフェクト、そしてシンジの影のある面持ち……そういった物全てが不安なのです。
 
それは存在に対する不安です。難しいことばで言えば、実存的に不安なのです。存在を揺るがされるような、自分が自分であることの確かさを不安定にするような、そういう不安です。
 
シンジが、自分が自分であることを発見する壮大な物語でもあるエヴァは、存在とは何かをテーマとしながら同時に、魂とは何かを明らかにする物語でもあります。我々は全にして個、個にして全ですが、人類補完計画でアンチATフィールドが働き、我々が一つの魂、あるいはエネルギーに還ることの実存的喜びを、つまり他者と一つになると言うことの喜びを、返って疎外しているATフィールドを抱えた一個の人間として、その不安は成り立っているのです。
 
どのような意図を持って作ったかは別として、その不安を見事に描き出している監督は、一つの奇跡にも思えます。良く対比されるZガンダムですら、その不安は別のベクトルで描かれています。ガンダムはもう少し総体的に評価されるべき作品群です。
 
個別の作品で言えば、きわめて壮大な、カルト的なテーマを持って、かつポピュラリティを獲得した作品は、エヴァをもって以外ないと思えます。 エヴァを超えるにはヱヴァしかない。誰もがそう思って待ち望んでいるはずです。
 
リボルテックヤマグチ No.67 新劇場版エヴァ初号機 Ver.2.0
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